映画鑑賞録。

最近見た映画を忘れないために。

私は王である!

『私は王である!』

 

2011年の韓国映画

 

評価ー6/10

 

歴史度ー☆☆☆

コメディ度ー☆☆☆

シリアス度ー☆☆

家族度ー☆☆☆☆

大団円度ー☆☆☆

 

時代ー13世紀。即位前の世宗の話。

 

世宗は韓国一の名君として有名。ストーリーは『王子と乞食』をアレンジしたもの。

 

王の長兄は粗暴、次兄は出家していて政治に見向きもしない、三男として生まれた世宗は勉学が好きでも武芸に興味はなし。世宗は三男なので、王位継承者として育っていなかったが、長兄は王の素質なしと見られて、突然世宗が王位継承者になってしまったところからストーリーは始まる。世相は、王になりたくないと家出。

 

そして、世宗と瓜二つの奴隷とひょんなことから入れ替わる。世宗は奴隷の立場から自国を見て、王としての自覚が生じる。

 

『王子と乞食』は、乞食側は王のような誇りを持っていて、文字も覚えるし、王のようにふるまっている。でも、乞食なので、誇り高い行動をしていても変わり者としてしか見られていない。王子と入れ替わっても教養はあるので、誰にも気づかれずにいられる。この映画では、奴隷側は勉強もしないし、誇りも持っていないので、奴隷だと知っている人から王子の行動を教えてもらっている。なので、この映画は『王子と乞食』の設定をそのまま使っているわけではないけど、そのためにシリアスになりすぎず、ファンタジーにもなりすぎず、コメディー映画を貫いている。

 

世宗がどんなにピンチになっても、最終的に大団円が約束されているので安心して見ていられる。エッチなシーンもないので、家族で見ても変な雰囲気にならない。

 

世宗が情けない王子から王の自覚を持つまで、王道パターンといえば王道パターンだけど、悪役や味方役などキャラがちゃんとしているので、目が離せない。

 

エンディングのおまけシーンは、ほっこりとするし、うまく映画をまとめている。(世宗の妻が報われててよし。)

 

背徳の王宮。

『背徳の王宮』ー原題は『姦臣』

 

2015年の韓国映画

 

評価ー8/10

 

歴史度ー☆☆☆☆☆

エロさー☆☆☆☆

家族度ー☆

ナレーション度ー☆☆☆☆☆

映像度ー☆☆☆☆

 

時代ー李氏朝鮮時代の燕山君(在位1494-1506年)

歴史的背景を把握していないと、意味不明なところもあり。特に人間関係に説明がないので分かりにくいけど、把握することはできる。(顔判別できないと、誰がどんな立場で進言しているのか、とっさに理解できなくなる。)

 

エロい描写もあるけど、韓国映画っぽく上品に仕立てられている。残虐シーンや殺人シーンもあるけど、グロテスクさはあまりない(韓国映画のわりに)。

 

主人公である『姦臣』が、一族の繁栄のために暴君な王に仕えることをやめ、自身の恋情のために民衆からも憎まれている王を見離すまでの話になっている。

 

王は母のみじめな死を告げられたことで乱心し、自らの凶行のためにさらに自分を追い詰めている。自身の狂乱に絶望しているけど、止められない。というのを、役者は上手く表現している。だから、非道だけど哀れみがあって、悪役として魅力的。

 

王のために集められた美女の中にヒロインとそのライバル。

 

一人は、主人公に愛されることになるヒロイン。可憐というより、強さと信念がある。

 

もう一人は、主人公の政敵が送った美女。ヒロインと美を争うことになる。自らの地位を高めるために、王に愛されようとしている。で、ヒロインに命を救われることから、最終的にヒロイン側に。狡猾で、愛らしい。

 

ナレーションが秀逸。映画を文学にしている。

 

恋愛映画というより、愚かな男たちの滅びの唄、といったところ。でも、最後のシーンには「未来」がある。

 

面白かったし、好きだけど、家族と一緒には見れない。