コクソン。
2016年。韓国映画。
評価-5/10。
ホラー度-☆☆
血がバシャバシャ度-☆☆☆☆
まさに「疑心」は「暗鬼」度-☆☆☆☆☆
國村隼さん、いい演技度-☆☆☆☆
「エクソシスト」と「ひぐらしのなく頃に」を足して、國村隼で割ったかのような映画でした。
田舎で突然と始まる異質な事件、警察官である主人公はさまざまな噂話を聞くことによって、村で異質な存在である異邦人(國村隼)が事件を操っているのではないかと疑う。
そもそも、事件は立て続けに起こるが、すべてはきちんとそれぞれに実行犯がいる。ただ、それぞれが悪霊に取りつかれたかのように惨殺を行っているため、本当に「悪霊」が村にいると思うようになってくる。
この時代に悪霊なんてリアリティがない、と思いそうだけど、普通に村人が祈祷師を呼んでいたりするので、そういう村なんだなと思えるし、祈祷師も真面目に祈祷しているので、見てる側も「そうなのかも…」と思えてくる。
主人公は初めは検視した医師の見解を受け入れて「毒キノコ(幻覚と錯乱を引き起こす)」が凶行の原因になっていることに理解を示すが、主人公の娘も奇病にかかることで、理性的な判断ができなくなり、とりあえず異邦人をやっつけることで一連の事件を鎮静化させようとする。
異邦人は日本から来たという設定だけど、村での付き合いもなく、どうやって生活してるんだろうとか、考えてはいけない。國村隼は、いい人そうにも見えるし、極悪人のようにも見えるし、普通の弱い老人のようにも見えるし、何考えているかわかんないようにも見えて、主人公たちの「疑惑」が正当であるようにも見えるし、主人公たちがただただ「勘違い」しているようにも見える。
異質な事態が生じたときに、その原因を異質な存在に求めてしまうのが人間の性だけど、何も考えずに異質な存在を滅しても、安心は得るが、解決できるとも限らないんだよなぁ、と考えさせられる映画だった。
また、「疑心暗鬼」とはこのことだ!と思う映画だった。その人が犯人だと「判断」したわけではなく、その人が犯人だと「疑う」ために、その人を犯人にしてしまう。
ラストシーンで、キリスト教の助祭が、國村隼が悪魔だと思って探しに行ったとき、國村隼が悪魔として現れる。果たして、確かに悪魔だったのか、助祭が悪魔だと思ったから悪魔に見えたのか。
ラストシーンで祈祷師が一連の事件の関係者のようにも見えるけど、それも私が「疑って」いるため、そう見えるだけなのかもしれない。。。
映画の中で、「毒キノコ」入りの健康食品が流通しているというニュースが流れたけど、序盤でその健康食品を村人が愛用しているシーンがさりげなく映っていたら、よかった。(←見逃しているだけかもしれないけど)