映画鑑賞録。

最近見た映画を忘れないために。

追憶。

2017年公開。日本映画。映画館にて。

 

評価-6/10。

 

サスペンス度-☆

ヒューマン度ー☆☆☆☆

ノスタルジック度ー☆☆☆

 

 

てっきり「幼少時代の大切な秘密を隠し通すため、大人になってから秘密を増やし続けていって、自分の関係や自分自身を壊していく」という映画かと思っていたので、意外にも人情ドラマで驚いた。

 

親との関係、パートナーとの関係、今の自分と過去の自分との関係、とかいろいろな関係を語っている映画だった。

 

映画の始まりは、これからドラマチックな展開になるよ、ということでカメラアングルに工夫があったけど、大画面でみたので、酔ってしまいそうだった。(年を取ってから、激しいカメラの動きに脳がついていけないだけだが。)

特にアクションのある映画ではないので、もう少し静かに始まってもよかったような。

 

 

一人の女性に拾われた3人の少年が、彼女のために犯罪を犯そうとし、実際に犯罪は起きた。その女性は少年たちの心を守るために、「すべてを忘れて、二度と会わない」と約束をさせる。

 

その25年後、一人は刑事になっていた。妻とは死産がきっかけでうまくいかなくなっていて、自分を捨てた母とはコミュニケーションを取りたくなくても切り捨てることもできていない。

一人は、経営が上手くいっていない会社の社長。結婚して婿養子になって、跡を継いだ形。金策に走る。

最後の一人は、経営が上手くいっている会社の社長。妻は妊娠中。会社の従業員ともいい関係。

 

 

ところで、少年たちを養っていた女性は、逮捕されたのか、それとも「なかったこと」にしていたのか、映画の中では理解できなかった。(ストーリーに深く関係しないけど、「二度と会わない」約束の重さが、変わってしまう気がしたので。)

 

「二度と会わない」、「昔のことも今の事件のことも、語らない」という強い意志の理由付けが少し不満だけど、映画として情緒的だったから、まぁよし。

→刑事が語らないのは、立場上言いづらいというのは分かるけど。結局、会っていなかったのは刑事だけだし。

 

 

 

 

ところで、岡田准一くんが、他の演者に比べて、背が低いなぁとも思った。だからといって、映画の価値も、彼の演技の価値も変わりはしないが。

(「男は背が高くないと男じゃない」とばかり思っているのは「女は胸がでかくなければ女じゃない」と思っているぐらい、どーでもいいことだ。)

じゃあ、言及するなということだけど、ちょっと自分のイメージと違ったので。

 

 

 

映画全体の雰囲気は、なんとなく昭和な感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

この映画を見て、考えたのは、

子ども時代の記憶が主人公の行動や人格に深く影響するけど、記憶と実際に起きたことには差異があって、その差異に気が付いていくことで、主人公は救われる(または絶望する)、みたいなストーリー。

←小学時代に京都に修学旅行に行ったのだけど、それから「金閣寺銀閣寺は隣接している」と思い込んでいたので(たぶん、続けざまに観光したから、物理的にも近いと思ったんだろう)。大人になって、再び訪れて「こんなに離れてたんだ」と驚愕した。

こういうのは「記憶」と「実際」を検証できるけど、それ以外の記憶は検証できないし、そういう風に記憶している間はそれが当人には「事実」であり続けるよなぁと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女

2016年公開。日本の映画。原作は湊かなえ

 

評価-6/10。

 

青春度-☆☆☆

ブラック度-☆☆☆

ほんわか度-☆

サワヤカ度-☆☆

後味度-☆☆☆

 

 

てっきり、「二人の百合風味の親友が、死への好奇心から殺人を犯して、さらに閉鎖性を深める二人が純度を増しながら天使のように滅んでいく」というストーリーだと思っていたので、内容が全然違っていて、ビックリした。

 

映画の内容としては、十代の純粋さと残酷さと無知・大人の濁りと卑劣さと許しが対比されていた感じだった。

 

アンジャッシュの児嶋さんが、いい味を出していた。教師としていいコトバをどんなに連ねてもにじみ出る小物感は、彼にしか出せないかもしれない。

 

10代が主役になる映画は、演技の質が気になるものだけど、この映画に関しては違和感なく楽しめた。

 

トーリー的には、湊かなえ的な要素はふんだんに散りばめられていたけど、素直なストーリーだった。

 

 

 

ヒロインの一人は、認知症のためか家の中でも教師としてふるまう祖母がいて、家族であっても「家族」として扱えないし、扱ってもらえない。

 

もう一人のヒロインは、剣道で活躍していたが、いざという時に負けてしまい、その時から自分の評価が低くなったことを恐れている。

 

 

 

自分の在り方に関係があろうがなかろうが、誰しも人生において「受難」の時はあり、その「受難」によって自分の在り方が変わってしまうかもしれないし、変わらずに進んでいくかもしれないし、変わってしまうのは嫌だけど変わらないままでもいられないから死んでしまうかもしれない。と、思うラストだった。

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、この映画を見て、考えたストーリー。

 

(駄文です。ストーリーにもなっていない、ただの設定。)

 

 

A子---転校生。片足を失って、義足生活。気が強い。

B男---スポーツマン。男くさい。A子が障がい者ということで下に見ている。

C男---優等生。B男とは幼馴染だが、現在は交流はない。ジェントルマン。

 

 

BとCは親同士も知り合い。B母はC母に競争心があり、家庭円満でBを優秀にすることでC母に勝とうとしている節がある。

BとCも幼いころは遊んでいたが、B母が常にBをCと比較しているから、Bは鬱陶しいと思うようになり、Cとは疎遠になる。ただ、母の教育から、自分は強くなくてはいけないと思っている。

 

Aはスポーツ推薦で違う高校に通っていたが、事故によって片足を失う。スポーツも出来なくなり、高校を転校する。通いやすいBとCのいる高校にやってきた。

 

BはAをバカにするが、Aは強気に跳ね返す。弱さを見せないAにBはイライラ。少し恋心も入っているが、自覚はない。

 

Cは誰にでも優しいし、当然障がい者高齢者にも優しい。なので、Aにも優しい。ただ、AはCを好きになれない。BはCに優しくされるAを見て、「AはCを好きになる」と思ってしまう。

 

 

Bはある時、Aが男性(大人)と笑い合っているところを見る。自分の前では見せない笑顔。「Aもあんな風に笑うんだ」とちょっとショック。

 

Aの恋人かと尋ねると、「違う、だけど大切な人。」と返答。

>>>

B「お前が片足ないから、振られたのか。」

A「違うわよ。私が私だから、彼が彼だから、(彼の恋人)さんが(彼の恋人)さんだから、私が振られたの。私に足があろうとなかろうと、私は振られたの。」

みたいな会話。

 

 

 

 

ある日、Bも事故により障害を持つことに。下に見ていた障がい者に自分もなるということを受け入れられずに、荒れる。

 

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B「オレも、お前と一緒になった。」

A「一緒にしないで。私は、出来なくなったことはあるけど、弱くなったことはないから。」

みたいな会話。

 

 

浮上のきっかけもつかめないB。Cが見舞に来て、「昔、写真をよく撮ってたよね。今度、○○があるから写真を撮ってよ。好きだったんだ、Bに撮られるの。」と言われて、写真を撮りに。

 

B父が運転する車で指定の場所に。途中で父にカーナビを見て、場所を説明してと言われる。実はカーナビが苦手なB父。B母は完璧な男性(つまりC父より優秀)だと思っているB父にも、苦手なことがあったと知るB。

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B父「母さんには内緒な。幻滅させてしまうから。」

B「こんな簡単なコトもできないんだ。」

B父「そりゃ、出来ないこともあるよ。人間だから当然だよ。」

B「当然なんだ。そっか、当然だよな。人間だもんな。」

みたいな会話。

 

 

その後、写真を撮ってCに感謝され、Bも写真を楽しく撮れた自分に驚く。なんとなく気持ちが軽くなるB。

 

 

ついでにAの自宅に行って、話をすることに。

 

Aも嫌々ながら、Bを気遣って、話を聞いてやることに。

 

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B「お前の部屋って、こんなかわいいぬいぐるみがあるんだー。イメージとちがうわ。」

A「悪かったわね。バカにしに来たの?」

みたいな会話があり、

B「事故った時、どうした?」

A「泣いた。毎日泣いた。大好きなスポーツが出来なくなって泣いた。あんたと同じように荒れた。」

 

B「どうやって、立ち直った?」

A「わかんない。でも、家族にも支えられたし、友人にも支えられたし、(男性)さんにも支えられた。」

B「ああ、だから(男性)さんを好きになったんだ」

A「それだけでないけど、まぁそうね。」

 

A「気が付いたら、(片足がなくなったことを)もう受け入れていたの。」

みたいな会話。

 

 

BがCに依頼された写真を現像して、Cに見せにいくことに。

C母が出てきて、「写真を撮ってくれた後に、Cは事故に合って、今は入院中。面会は避けて。」と言われる。

 

 

数日後、B母から「C君、亡くなったんですって。これから、お通夜ですって」と告げられるB。

 

 

 

葬式の場でAと会うB。会場の囁き声からCは自殺だと知る二人。

 

>>>

B「どうして、自殺なんかしたんだろう。」

A「自分の事故に耐えられなかったのよ。」

B「あいつはオレみたいに、障がい者だからってバカにしてなかった。」

A「それでも、耐えられなかったのよ。」

 

B「そういえば、AはCを気に食わないといってたけど、何で。」

先日撮ったCの写真を見つつ、尋ねるB。

A(Cは、確かに障がい者に優しかった。でも、それは上位の者が下位の者に与える優しさだった。決して対等ではなかった。)と言おうとしたが、Cの写真を見て、口を閉ざす。

 

A「あなたには、写真のCが全てだし、それが真実よ。私のは、ただの印象でしかないわ。」

B「Cはオレの写真が好きだといってくれた。オレに写真を撮ってもらうのが好きだと言った。オレは確かにCに救われたんだ。」

みたいな会話。

 

 

ラストは、BとCの子ども時代か、自殺していくCが夢見た理想郷(五体満足な、AとBとCが一緒になって笑っているシーン)で終わり。

 

 

 

なんか、みんな事故に合うという都合のよさ。

 

そして、B母は嫌な女でしかなくなった。

 

(実は、C母の方がまずは仕掛ける側、というか無自覚的に優越感を味わっている。)

C母は、B母の会社の後輩。初めは先輩を慕う可愛い後輩といった感じだったが、B母がいいなと思った男性を誘惑したり、B母がいいと思った服を会社に着てきたり、仕事ではB母を頼りつつ、仕事ができないけど可愛い女性として会社の男性の間で人気を保っていたりもする。

Cに対しては、「私の可愛い息子。いい子。優秀な子。」と可愛がりつつ、「あんな人間になってはダメよ。こんな行動はしてはダメよ。あんな風に思ってはダメよ。人間、あんな風になっては人生無価値よ。」と無自覚にプレッシャーをかけるタイプ。

 

 

 

私は王である!

『私は王である!』

 

2011年の韓国映画

 

評価ー6/10

 

歴史度ー☆☆☆

コメディ度ー☆☆☆

シリアス度ー☆☆

家族度ー☆☆☆☆

大団円度ー☆☆☆

 

時代ー13世紀。即位前の世宗の話。

 

世宗は韓国一の名君として有名。ストーリーは『王子と乞食』をアレンジしたもの。

 

王の長兄は粗暴、次兄は出家していて政治に見向きもしない、三男として生まれた世宗は勉学が好きでも武芸に興味はなし。世宗は三男なので、王位継承者として育っていなかったが、長兄は王の素質なしと見られて、突然世宗が王位継承者になってしまったところからストーリーは始まる。世相は、王になりたくないと家出。

 

そして、世宗と瓜二つの奴隷とひょんなことから入れ替わる。世宗は奴隷の立場から自国を見て、王としての自覚が生じる。

 

『王子と乞食』は、乞食側は王のような誇りを持っていて、文字も覚えるし、王のようにふるまっている。でも、乞食なので、誇り高い行動をしていても変わり者としてしか見られていない。王子と入れ替わっても教養はあるので、誰にも気づかれずにいられる。この映画では、奴隷側は勉強もしないし、誇りも持っていないので、奴隷だと知っている人から王子の行動を教えてもらっている。なので、この映画は『王子と乞食』の設定をそのまま使っているわけではないけど、そのためにシリアスになりすぎず、ファンタジーにもなりすぎず、コメディー映画を貫いている。

 

世宗がどんなにピンチになっても、最終的に大団円が約束されているので安心して見ていられる。エッチなシーンもないので、家族で見ても変な雰囲気にならない。

 

世宗が情けない王子から王の自覚を持つまで、王道パターンといえば王道パターンだけど、悪役や味方役などキャラがちゃんとしているので、目が離せない。

 

エンディングのおまけシーンは、ほっこりとするし、うまく映画をまとめている。(世宗の妻が報われててよし。)

 

背徳の王宮。

『背徳の王宮』ー原題は『姦臣』

 

2015年の韓国映画

 

評価ー8/10

 

歴史度ー☆☆☆☆☆

エロさー☆☆☆☆

家族度ー☆

ナレーション度ー☆☆☆☆☆

映像度ー☆☆☆☆

 

時代ー李氏朝鮮時代の燕山君(在位1494-1506年)

歴史的背景を把握していないと、意味不明なところもあり。特に人間関係に説明がないので分かりにくいけど、把握することはできる。(顔判別できないと、誰がどんな立場で進言しているのか、とっさに理解できなくなる。)

 

エロい描写もあるけど、韓国映画っぽく上品に仕立てられている。残虐シーンや殺人シーンもあるけど、グロテスクさはあまりない(韓国映画のわりに)。

 

主人公である『姦臣』が、一族の繁栄のために暴君な王に仕えることをやめ、自身の恋情のために民衆からも憎まれている王を見離すまでの話になっている。

 

王は母のみじめな死を告げられたことで乱心し、自らの凶行のためにさらに自分を追い詰めている。自身の狂乱に絶望しているけど、止められない。というのを、役者は上手く表現している。だから、非道だけど哀れみがあって、悪役として魅力的。

 

王のために集められた美女の中にヒロインとそのライバル。

 

一人は、主人公に愛されることになるヒロイン。可憐というより、強さと信念がある。

 

もう一人は、主人公の政敵が送った美女。ヒロインと美を争うことになる。自らの地位を高めるために、王に愛されようとしている。で、ヒロインに命を救われることから、最終的にヒロイン側に。狡猾で、愛らしい。

 

ナレーションが秀逸。映画を文学にしている。

 

恋愛映画というより、愚かな男たちの滅びの唄、といったところ。でも、最後のシーンには「未来」がある。

 

面白かったし、好きだけど、家族と一緒には見れない。