映画鑑賞録。

最近見た映画を忘れないために。

少女

2016年公開。日本の映画。原作は湊かなえ

 

評価-6/10。

 

青春度-☆☆☆

ブラック度-☆☆☆

ほんわか度-☆

サワヤカ度-☆☆

後味度-☆☆☆

 

 

てっきり、「二人の百合風味の親友が、死への好奇心から殺人を犯して、さらに閉鎖性を深める二人が純度を増しながら天使のように滅んでいく」というストーリーだと思っていたので、内容が全然違っていて、ビックリした。

 

映画の内容としては、十代の純粋さと残酷さと無知・大人の濁りと卑劣さと許しが対比されていた感じだった。

 

アンジャッシュの児嶋さんが、いい味を出していた。教師としていいコトバをどんなに連ねてもにじみ出る小物感は、彼にしか出せないかもしれない。

 

10代が主役になる映画は、演技の質が気になるものだけど、この映画に関しては違和感なく楽しめた。

 

トーリー的には、湊かなえ的な要素はふんだんに散りばめられていたけど、素直なストーリーだった。

 

 

 

ヒロインの一人は、認知症のためか家の中でも教師としてふるまう祖母がいて、家族であっても「家族」として扱えないし、扱ってもらえない。

 

もう一人のヒロインは、剣道で活躍していたが、いざという時に負けてしまい、その時から自分の評価が低くなったことを恐れている。

 

 

 

自分の在り方に関係があろうがなかろうが、誰しも人生において「受難」の時はあり、その「受難」によって自分の在り方が変わってしまうかもしれないし、変わらずに進んでいくかもしれないし、変わってしまうのは嫌だけど変わらないままでもいられないから死んでしまうかもしれない。と、思うラストだった。

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、この映画を見て、考えたストーリー。

 

(駄文です。ストーリーにもなっていない、ただの設定。)

 

 

A子---転校生。片足を失って、義足生活。気が強い。

B男---スポーツマン。男くさい。A子が障がい者ということで下に見ている。

C男---優等生。B男とは幼馴染だが、現在は交流はない。ジェントルマン。

 

 

BとCは親同士も知り合い。B母はC母に競争心があり、家庭円満でBを優秀にすることでC母に勝とうとしている節がある。

BとCも幼いころは遊んでいたが、B母が常にBをCと比較しているから、Bは鬱陶しいと思うようになり、Cとは疎遠になる。ただ、母の教育から、自分は強くなくてはいけないと思っている。

 

Aはスポーツ推薦で違う高校に通っていたが、事故によって片足を失う。スポーツも出来なくなり、高校を転校する。通いやすいBとCのいる高校にやってきた。

 

BはAをバカにするが、Aは強気に跳ね返す。弱さを見せないAにBはイライラ。少し恋心も入っているが、自覚はない。

 

Cは誰にでも優しいし、当然障がい者高齢者にも優しい。なので、Aにも優しい。ただ、AはCを好きになれない。BはCに優しくされるAを見て、「AはCを好きになる」と思ってしまう。

 

 

Bはある時、Aが男性(大人)と笑い合っているところを見る。自分の前では見せない笑顔。「Aもあんな風に笑うんだ」とちょっとショック。

 

Aの恋人かと尋ねると、「違う、だけど大切な人。」と返答。

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B「お前が片足ないから、振られたのか。」

A「違うわよ。私が私だから、彼が彼だから、(彼の恋人)さんが(彼の恋人)さんだから、私が振られたの。私に足があろうとなかろうと、私は振られたの。」

みたいな会話。

 

 

 

 

ある日、Bも事故により障害を持つことに。下に見ていた障がい者に自分もなるということを受け入れられずに、荒れる。

 

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B「オレも、お前と一緒になった。」

A「一緒にしないで。私は、出来なくなったことはあるけど、弱くなったことはないから。」

みたいな会話。

 

 

浮上のきっかけもつかめないB。Cが見舞に来て、「昔、写真をよく撮ってたよね。今度、○○があるから写真を撮ってよ。好きだったんだ、Bに撮られるの。」と言われて、写真を撮りに。

 

B父が運転する車で指定の場所に。途中で父にカーナビを見て、場所を説明してと言われる。実はカーナビが苦手なB父。B母は完璧な男性(つまりC父より優秀)だと思っているB父にも、苦手なことがあったと知るB。

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B父「母さんには内緒な。幻滅させてしまうから。」

B「こんな簡単なコトもできないんだ。」

B父「そりゃ、出来ないこともあるよ。人間だから当然だよ。」

B「当然なんだ。そっか、当然だよな。人間だもんな。」

みたいな会話。

 

 

その後、写真を撮ってCに感謝され、Bも写真を楽しく撮れた自分に驚く。なんとなく気持ちが軽くなるB。

 

 

ついでにAの自宅に行って、話をすることに。

 

Aも嫌々ながら、Bを気遣って、話を聞いてやることに。

 

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B「お前の部屋って、こんなかわいいぬいぐるみがあるんだー。イメージとちがうわ。」

A「悪かったわね。バカにしに来たの?」

みたいな会話があり、

B「事故った時、どうした?」

A「泣いた。毎日泣いた。大好きなスポーツが出来なくなって泣いた。あんたと同じように荒れた。」

 

B「どうやって、立ち直った?」

A「わかんない。でも、家族にも支えられたし、友人にも支えられたし、(男性)さんにも支えられた。」

B「ああ、だから(男性)さんを好きになったんだ」

A「それだけでないけど、まぁそうね。」

 

A「気が付いたら、(片足がなくなったことを)もう受け入れていたの。」

みたいな会話。

 

 

BがCに依頼された写真を現像して、Cに見せにいくことに。

C母が出てきて、「写真を撮ってくれた後に、Cは事故に合って、今は入院中。面会は避けて。」と言われる。

 

 

数日後、B母から「C君、亡くなったんですって。これから、お通夜ですって」と告げられるB。

 

 

 

葬式の場でAと会うB。会場の囁き声からCは自殺だと知る二人。

 

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B「どうして、自殺なんかしたんだろう。」

A「自分の事故に耐えられなかったのよ。」

B「あいつはオレみたいに、障がい者だからってバカにしてなかった。」

A「それでも、耐えられなかったのよ。」

 

B「そういえば、AはCを気に食わないといってたけど、何で。」

先日撮ったCの写真を見つつ、尋ねるB。

A(Cは、確かに障がい者に優しかった。でも、それは上位の者が下位の者に与える優しさだった。決して対等ではなかった。)と言おうとしたが、Cの写真を見て、口を閉ざす。

 

A「あなたには、写真のCが全てだし、それが真実よ。私のは、ただの印象でしかないわ。」

B「Cはオレの写真が好きだといってくれた。オレに写真を撮ってもらうのが好きだと言った。オレは確かにCに救われたんだ。」

みたいな会話。

 

 

ラストは、BとCの子ども時代か、自殺していくCが夢見た理想郷(五体満足な、AとBとCが一緒になって笑っているシーン)で終わり。

 

 

 

なんか、みんな事故に合うという都合のよさ。

 

そして、B母は嫌な女でしかなくなった。

 

(実は、C母の方がまずは仕掛ける側、というか無自覚的に優越感を味わっている。)

C母は、B母の会社の後輩。初めは先輩を慕う可愛い後輩といった感じだったが、B母がいいなと思った男性を誘惑したり、B母がいいと思った服を会社に着てきたり、仕事ではB母を頼りつつ、仕事ができないけど可愛い女性として会社の男性の間で人気を保っていたりもする。

Cに対しては、「私の可愛い息子。いい子。優秀な子。」と可愛がりつつ、「あんな人間になってはダメよ。こんな行動はしてはダメよ。あんな風に思ってはダメよ。人間、あんな風になっては人生無価値よ。」と無自覚にプレッシャーをかけるタイプ。