映画鑑賞録。

最近見た映画を忘れないために。

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ。

1990年。イギリス映画。

 

評価-10/10。

 

悲劇度ー☆☆☆

シェークスピア度ー☆☆☆☆☆

世にも奇妙な物語度ー☆☆☆☆

大好きだー‼度ー☆☆☆☆☆☆

 

私のドストライクな映画です。設定も、役者も、音楽も、衣装も、文字も。

 

ハムレット』を知っているという前提で作られているので、何も知らないままでは全く理解できない映画とも言えます。

 

ギルデンスターンとローゼンクランツは、ハムレットの友人です。ハムレットの叔父である王は、ハムレットうつ状態を見てどうにかしようと、ギルデンスターンとローゼンクランツを呼び寄せるわけです。

 

二人はハムレットの気晴らしをするというのが表向きの理由です。というのは、ハムレットの叔父クローディアスは、自分の兄でもありハムレットの父でもある先王を殺して王位を奪い、ハムレットの母である王妃も自分の妻にしてしまっています。ハムレットは、その事実を知っていて、自分を弾劾するような行動に出ないか心配なのです。

 

なので、王クローディアスは、ギルデンスターンとローゼンクランツをハムレットの話し相手にして、ハムレットの本当の目的を聞き出してもらおうと画策しています。

 

ハムレットは、もともと王になることに消極的ですが、王子として叔父の不正に何もしないままでいいか悩んでいます。兄王を殺して王位を手に入れている上に、(ハムレットたちの倫理では)兄の妻だった女性を自分の妻にするということは近親相姦に値することです。なので、「To be or not to be, that is the question」となるわけです。

 

シェークスピアの戯曲『ハムレット』の中では、ローゼンクランツとギルデンスターンは二人一緒に同じシーンに登場します。登場するときは、いつも二人一緒です。言っているセリフもどちらが言ってもいいような内容です。なので、本当に「どちらがどちらでもいい」端役です。

 

一応、映画ではローゼンクランツはゲイリー・オールドマンが、ギルデンスターンはティム・ロスが演じていますが、キャラとしての二人は自分がどちらなのか理解していないかもしれません。

 

ということで、映画へ。(好きなので、文章も長くなります。)

 

 

 

まず、二人が馬に乗って旅をしているシーンから始まります。

 

ふとしたことで、コインを落としてしまい、それに気が付いたローゼンクランツがそのコインを拾います。旅にも飽きているのか、コインを投げて裏表を出して遊びます。

 

そして、何回投げても表しか出ないことに気づきます。→ここで、「この世界」は通常の世界でないことを気づかされます。観客は、「彼らは本の中の住人であり、自分たちの世界と同質でないのだ。」と思うはずです。(ちなみに、彼ら二人は普通の世界に生きていると思っている。)

 

ギルデンスターンは、表ばかり出る原因を考察しますが、その中で「今、自然ではない力の中に自分たちは捕らえられている」(まさにその通り)という推論をしますが、ローゼンクランツが真面目に取り上げないので、うやむやに。

 

話の流れで、自分の一番古い記憶の話になります。王からの召集を伝える使者が思い出されます。ここで、彼らは、今王宮に向かう途中であることが分かります。さらに、使者に起こされた時に、彼らが生まれた、とも言えます。(なにせ、作品のキャラなので)

 

 

王宮に向かう途中に旅役者に出会います。怪しさ満点です。

ここで、ローゼンクランツが自己紹介をしますが、「僕の名前はギルデンスターン 彼はローゼンクランツ」となってしまいます。ギルデンスターンが怪訝な顔をして、ローゼンクランツが「彼の名前はギルデンスターン 僕はローゼンクランツ」と改めます。このやり取りは、以降にもたびたび出てきます。

 

旅役者たちは、何ができるのかと問われ、殺人や亡霊、戦闘や悲愴な恋人などハムレットを思わせるイメージを演じます。また、このときに台本とみられる紙が散逸しますが、紙が散逸するシーンも以降たびたび出てきます。

 

ローゼンクランツとギルデンスターンは、自分たちも舞台に参加できるのかと問うと、旅役者は、「ある者には芝居する場、他には客になる場。これはコインの裏表、または同じ面だ。」と。←映画の出だしのコイン投げの珍事とつながります。

 

このシーンでは、ローゼンクランツとギルデンスターン=芝居を見ている客(裏)であり、旅役者=芝居をしている役者(表)、ですが、

映画全体をみると、私たち観客=芝居を見ている客(裏)であり、

旅役者だけでなくローゼンクランツとギルデンスターン=芝居をしている役者・キャラ(表)、になるというわけです。

ローゼンクランツとギルデンスターンは、自分たちが(表)であり(裏)になることはない、ということに気が付いてないわけです。

 

旅役者とコインの賭けをしますが、1回目は表が出て旅役者(表が出ると分かっていたという感じ)の勝ち、2回目は何故か裏が出て不思議がる二人ですが、不思議だなと思っているうちに場面が王宮内に急転します。←舞台ってそういうものですよね。

 

急なことに戸惑う二人ですが、王が近づいてくるので、とりあえず頭を下げます。

 

王も二人がどちらか分からずに話している感じ。

ハムレットのことを探ってくれ、と頼みます。傍からは親心として。

 

二人も臣下として、王の命令に従うと約束するしかありません。

 

王とその連れが部屋を去っていくので、二人も部屋から出ようとしますが、出たところで、再び同じ部屋に戻ってきてしまいます。←舞台って、場面が決まっていて、それ以外の場所は与えられていないですよね。

 

再び部屋を出てみると、今度はきちんと出ることができます。進んだ先は、室内テニスコートみたいなところ。

遊び道具を用意する中で、ローゼンクランツが重たいものと軽いものが同時に落ちること(万有引力)に気が付き、ギルデンスターンにも見せようとしますがうまくいきません。←ハムレットは1600年ごろで、ニュートンが1642年生まれなので、登場人物が気が付くハズがない、というか気がついてはいけないのです。

物理法則に気が付きそうで気が付かないというシーンはたびたび出てきます。

 

何だかんだで、言葉遊びが始まります。

最終的にギルデンスターンは、自然にローゼンクランツを呼ぶことができますが、ローゼンクランツの方はうまくいかずに終わります。

 

ハムレットを見かけて、彼が変容したことに気が付く二人は、その原因を推理しようとします。現状の人間関係をおさらいすることしかできません。

 

 

ついにハムレットと対面することになります。ハムレットも二人がローゼンクラン・ギルデンスターンのどちらか判別できていません。(友人なのに)

 

ハムレットは狂気にとらわれたように振舞いながら、二人が自分に会いに来た王クローディアスのスパイかどうか探っています。二人は、ハムレットから何も引き出すことが出来ませんでした。

 

 

次に、旅の途中で会った旅役者が王宮に来ていることを知ります。ハムレットが熱心に劇を見ているのが分かります。ハムレットの要望で、旅役者はしばらく王宮に居続けることに。

 

旅役者と話すことで、ハムレットとオフィーリアの関係を二人は教えられる。

 

 

旅役者たちは、王宮の下男下女らに無言劇を見せることになるが、その内容が『ハムレット』そのもの。これから王宮で起きることを舞台にしている。ローゼンクランツとギルデンスターンに起きることも。←といっても、二人や下男下女らにとってはそれはまだ、「何かのお話」に過ぎないけど。

 

トーリー的には、オフィーリアはハムレットとの恋に悩んで入水自殺をするし、王クローディアスとハムレットは相討ちみたいになるし、王妃も巻き添えで死んでしまう。悲劇の伝統にのっとって、主要人物はみんな死んでしまう。

 

劇が終わったら、またハムレットたちのターンに。

 

ハムレットが「To be or not to be」と言うシーンがあるけど、それを声に出さずに口を動かすだけにしたのは、スゴイ演出だと思った。

 

 

ローゼンクランツが、降ってきた紙を飛行機にして放ると、ハムレットとオフィーリアがいるところを通って、王らがいる部屋を通って、自分の場所に戻ってくるというのも面白い。

 

 

ローゼンクランツは、戻ってきた紙飛行機をさらに工夫して、20世紀風の飛行機を作って飛ばそうとするけど、ギルデンスターンに壊されてしまう。

←ローゼンクランツは、記憶がないだけで、実は現代人なのか?

 

 

次に、旅役者たちが舞台練習をしているところに。ハムレットたちはハムレットたちで、話を進めている。舞台役者たちは、クローディアスが兄王を殺すところを舞台ストーリーとして練習している。

 

 

役者たちがクローディアスがしてきたことを舞台で演じているというところを見て、王クローディアスは挙動不審に。ハムレットとクローディアスの決裂は決定的なものに。

 

これだけあっても、ローゼンクランツとギルデンスターンは現状に気が付かず。←あくまで舞台はただの舞台だと思っているので。ハムレットの父をクローディアスが殺していることを知らない。

 

暗転。

 

二人は気が付くと船に乗っていた。

 

この映画は場面展開が急だけど、ローゼンクランツとギルデンスターン二人に自覚がないから。通常なら、場面展開があったら、移動してきたところを省略したことを観客も分かっているし登場人物も分かっているけど、これは二人は自分たちがストーリーの登場人物だということに自覚がないから省略に気が付いていない。だから、二人にとっても場面展開が突然起こってしまうのだ。

 

 

二人は話し合っているうちに、ハムレットをイギリスに連れていく途中であることを思い出す。王の書状も持っていて、そこにはハムレットがイギリスに着き次第ハムレットの首をはねろと書かれていた。

 

二人は、ハムレットへの友情と、臣下としての任務の間で悩む。ハムレットは王の書状をすり替える。船は海賊船に襲われ、ハムレットはその海賊船に乗って王宮へ戻る。

 

 

ローゼンクランツとギルデンスターンは、ハムレットのいないままイギリスへ行こうと決意。すり替えられた書状にはハムレットではなく二人の首を吊れと書かれていた。

 

 

ラストは、ローゼンクランツとギルデンスターンが最初に旅をしてきた道を、旅役者たちが引き返していくというシーンで終わり。

 

 

シェークスピアの「人生は舞台だ」精神を描いた映画でもあり、運命は決められているという古代ギリシア悲劇をシェークスピア作品を用いて再構成したような映画でもある。

 

 

映画の構成は入り組んでいて、ややこしいけど、それが楽しい。

好き。